ロヒンギャの悲しみ①

地平線が見えるくらい、一本道が続いていた。汗が頬を伝い、バックが肩にくいこむ。

「本当にこの道で合っているのだろうか?」

ミャウーのホステルで書いてもらった地図によれば、この道沿いにロヒンギャの村があるはずだった

「仏教徒が人口の大半を占めるミャンマーで、イスラム教を信仰し、迫害されているロヒンギャという存在がある」

僕がロヒンギャについて知ったきっかけは日本での新聞報道だった。

「報道の向こう側にいきたい」

若い衝動に動かされてミャンマーまで来た。東南アジア5か国を回る2ヶ月の旅の最大の目的はロヒンギャに会うことだった。

バイクや車が横を通る度に顔を隠す。警察官に止められると面倒なことになるかもしれない。

前方に村が見えてきた。道路の両端にずらりと民家が並んでいる。村に足を踏み入れると、雑貨屋で溜まっていた子ども達が寄ってきた。

手元のカメラを見て「写真を撮れ」とジェスチャーで伝えてくる。

写真を撮ると「ついてこい」とばかりに僕の手を引いた。雑貨屋の店先に座る老婆が微笑ましげにその様子を見ていた。

ソンコ帽のようなものを被っている人を見た時にやっと気がついた。

「ここがロヒンギャの村だ」と。

中年男の前に連れてこられた。

「My teacherだ」と子どもが紹介してくれた。彼は村の教師で英語を話せるので、ガイドもしているという。名前は仮にTさんとしておく。

初めに村の学校を見せてくれた。残念ながら訪れた時期は長期休暇中で生徒はいなかった。

5歳から12歳までの子ども達が学んでいる。しかし、この村には高校などの上級学校がない。

「卒業したら生徒たちは町の学校に行くのか?」

そう尋ねると、Tさんは首を振った。

「僕たちはこの村から出ることができないんだ」

ロヒンギャの人々の行動はミャンマー政府によって、著しく制限されている。

一番近い町であるミャウーまでは10キロもないが、行くことは「不可能」である。小さな村で彼らは世界から隔離されている。教育を受けたくても、受けられない現実がある。

それだけではない。

「医療も足りないんだ」

そう彼は口にした。

薬局のようなところはあるが病院はない。行動が制限されているので、罹患しても満足な治療を受けることができない。

次にモスクへと連れていってくれた。村には見せてもらっただけで3ヶ所のモスクがあった。

14世紀からあるというモスク。台座にはコーランが置いてある

その中でも一番、古いモスクは700年前、すなわち14世紀に作られたという。一部の柱などを除いて、改築されているので真偽は判断できなかった。

ロヒンギャとミャンマー政府の対立の原因の1つに歴史認識という点がある。

「僕はこの村で生まれた。両親も、祖父母もずっとこの地で暮らしてきたんだ」とTさんは言った。

ラカイン州と呼ばれるミャンマー西北部の地域には15世紀から18世紀にかけて「アラカン王国」という独立国が存在した。ムスリムに融和的な王の元、仏教徒とムスリムが共存していたという。その後、ムスリム(ロヒンギャ)と仏教徒(ラカイン人)の間で軋轢が生じた。

アジア・太平洋戦争中には対立に乗じた日英の代理戦争が行われた。現代に至って、なお対立は顕在化している。

ミャンマー政府はロヒンギャを「不法移民」だとしている。ラカイン人(仏教徒)はロヒンギャをバングラデシュから来た人という意味で「バングラ」と呼んでいる。

ラカイン州に住むロヒンギャの数は100万人ほどと推定される。彼らは、移動の自由だけでなく、国籍さえ与えられていない。ロヒンギャはこの国において「ミャンマー国民」ですら無いのだ。

2017年8月の衝突以後、政府治安部隊の掃討作戦によってロヒンギャ側に多数の死者が発生した。

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のHPによると、この迫害に耐えかねた67万人を越えるロヒンギャが故郷を離れ、バングラデシュへ逃れたという。

ただバングラデシュに逃れても安泰の生活があるわけではない。そこでも劣悪な環境下におかれている。ミャンマーへの帰還もほとんど進んでいない。

ため池のそばには赤十字が掲げられていた

モスクの隣にはため池があった。生活用水はこの池や点在している井戸からくまれている。

村全体の人口は6500人ほどだが、子どもの数はかなりのウエイトを占めている

写真を撮ると、駆け寄ってくる。手を出して何かをねだってくる。最初は「カメラをよこせ」ということかと思った。

違った。子どもたちは「写真をくれ」と言っているのだった。

「彼らは自分の写っている写真を持っていないのではないか」と思った。

日本で暮らす僕は実家に帰れば、幼少期を写したアルバムがある。僕には当然のように思えることさえ、外界から遮断されたこの村では当然ではないのだ。

ふと子どもたちの未来に思いを巡らせた。一生、この狭い村で暮らしていくのだろうか? いや情勢を鑑みると、現在の生活さえ奪われかねない。

「国籍を有しないということはいかような苦しみか」

バンコクで会ったカメラマンの瀬戸さんがそのことを教えてくれた。

https://dokushoplacecom.wordpress.com/2018/02/05/サワディ、タイランド-2/?preview=true

この子どもちも瀬戸さんのように「帰属意識」の欠落という苦しみを背負って生きていくのだろうか?

国籍問題が象徴する、ミャンマーにおけるロヒンギャの地位。価値観が万人で異なるにしても、常に生活が壊される危機にあることは「オカシイ」であろう。 「子どもたちが、どんな責任を有しているのか?」

どうしても僕にはこの既存の社会が理解できなかった。

僕のカメラはポラロイドではないので、すぐには現像できない。

「ゴメンね。現像したらきっと写真を送るよ」と誓った。きっと言葉の意味は理解出来ていないだろうが、子どもたちは了解してくれた。

「ねぇ僕たちも写真を撮ってよ」

子どもの笑顔は美しかった。純粋だった。だからこそ、ロヒンギャの置かれている現状について、釈然としない悲しみが残った。

「ロヒンギャの悲しみ ②」へ。

https://dokushoplacecom.wordpress.com/2018/05/06/222/?preview=true

2018年5月5日に更新予定です。

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